内閣官房副長官の木原誠二さんの妻、木原郁子(きはらいくこ)さん。
過去には元銀座のナンバーワンホステスだった経歴や、2022年には大人向けファッション雑誌「very」に読者モデルとして登場するなど、その美しさでも有名です。
木原郁子さんは若い頃にuran(ウラン)という芸名で歌手として活動。
「おせっかい」という曲でCDデビューもしていたことが明らかになっています。
また10代の頃には雑誌「Cawaii」などでモデルとして活動していたそうです。
今回は、木原郁子(旧姓:舩本郁子)さんの若い頃のモデル写真や、歌手uranとしての活動についてお伝えしていきたいと思います!
★木原誠二さんの妻・郁子さんについてはこちらもどうぞ!
【顔画像】木原誠二妻・郁子はVERYモデルで元銀座ホステス!wiki経歴と学歴も
木原郁子は若い頃に雑誌モデルとして活動していた!
内閣官房副長官・木原誠二さんの妻、木原郁子さんは若い頃からモデル活動をされていました。
1997年夏、木原郁子さんが高校3年生だった18歳の時にティーンズファッション雑誌「Cawaii!」にモデルとして登場しています。
短大を卒業し、安田種雄さんと結婚したのが23歳の頃なので、18〜22歳ごろまでモデルとして活動していたと思われます。
首都圏の高校に通う傍ら、97年夏に雑誌モデルとしてデビュー。
(引用:週刊文春)
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木原郁子はuranとして20歳でCDデビュー!
また、木原郁子さんは、1999年20歳の頃にuran(ウラン)という芸名でCDデビューしています。
X子は結婚前にCDデビューしたこともある。
(引用:週刊文春)
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uranのデビュー曲「おせっかい」
こちらが1999年にリリースされたuranのデビュー曲「おせっかい」のジャケット画像です。
レーベル:J-CUBIC
CDには「おせっかい」の他にカップリングとして「ラブ・マネー」という曲が収録されているようです。
CDデビューは1999年、モデルとして活動していた木原郁子(当時は旧姓の「舩本郁子」)さんが20歳の頃になります。
木原郁子さんは10代から雑誌モデルとして活動しており、死別した元旦那で同じく雑誌モデルをしていた安田種雄さんと1997年に交際を始めて、2002年に結婚しています。
ですので、ちょうど安田さんとの交際時期にuranとしてのCDデビューをしていたことになります。
ちなみに、現在(2022年)の木原郁子さんの写真がこちらです。
メイクやファッションなどでだいぶエレガントな雰囲気に変わっていますが、口元などその面影は残っているように見えますね!
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なぜuran(ウラン)?芸名の由来は?
CD「おせっかい」の帯には「原子の【ウラン】のように底知れぬパワーを秘めてデビュー」とありました。
芸名uranの由来は、原子力発電所の燃料としても使われている原子のウランからきているようです。
エネルギー密度が高いウラン燃料、ウランのように爆発的なエネルギーを秘めたアーティストだという意味がこめられているようですね。
しかし、uranとしてのCDはこの1枚だけだったようです。
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uran(木原郁子)の歌唱力は?
木原郁子さんは銀座ホステス時代にも歌が上手く、その美声で有名だったようです。
09年9月、港区赤坂のカラオケスナックに美声が谺した。その日の夕刻、同店で催されたのは、民主党の鳩山由紀夫内閣で農水大臣に就任した赤松広隆氏の就任パーティだった。十数人の後援会関係者らに交ざり、2、4人のホステスが華を添える。その中で一際目立つ美人がいた。身長163センチの彼女がすらりと伸びた脚で立ち上がり、風に揺れる百合のように店内を歩く。そしてマイクを握ると、一斉に男性たちが顔を見合わせ、踊りだす。同店関係者が打ち明ける。
「赤松さんの後援会関係者が、銀座のホステスだったX子を呼んだのです。彼女はめちゃくちゃ歌が上手でパーティは彼女のおかげで大いに盛り上がった」
(引用:週刊文春)
また木原郁子さんのカラオケの十八番は、工藤静香さんの代表曲の一つ「Blue Velvet」だそう。
情熱的に歌い上げるロックな曲ですよね!
これを歌いこなす木原郁子さんはかなり歌がお上手なのでしょう。
若い頃からその美貌と歌唱力で芸能活動もされていた郁子さん。
超エリートだった木原誠二さんのハートを射止めたのも当然だったのかもしれませんね!
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